プロフィール

≪プロフィール≫

林 誠(はやし まこと)

≪略歴≫

千葉県富津市生まれ

小中高ともに地元の公立学校に通う

大学進学を志すが挫折、情報処理の専門学校に進学

流通小売企業のシステム部に就職

グループ関連企業数社に異動を経験

流通小売グループを退社

障がい者就労移行支援事業所で生活指導員として勤務

放送大学「心理と教育コース」で心理学を学び卒業

現在、心理カウンセラーとしてカウンセリングだけでなく心理講座、マインドフルネス講座の講師としても活動中


≪趣味≫

ロードバイク

神社・仏閣巡り

写真(主に風景や花・植物、雲)

読書(SF、ファンタジー、推理もの)

≪資格等≫

C&T心理教育カレッジ認定心理カウンセラー

臼井式靈氣(レイキ)サードディグリー

MBSR(マインドフルネスストレス低減法) 8週間基本コース修了

睡眠健康指導士初級(一般社団法人日本睡眠教育機構認定)

マインドフルネス・カウンセラー(Basic)(一般社団法人ポジティブ心理カウンセラー協会認定)

インナーチャイルドカード上級セラピスト


<私が私になれたストーリー>


48歳の時、マインドフルネスと心理学に出会って、私の人生は大きく変わりました。


毎日、笑顔で過ごせるようになりました。


子どもの頃から、なぜみんなが自分のことを理解してくれないのか、と悩んでいました。

誰からも認められていないと感じ、会社員として働いていた時も、仕事は楽しくありませんでした。


でも、マインドフルネスに出会い、辛いと感じることは悪いことではないと気づきました。

感情を否定せずに受け入れることで、本当に望んでいることに気づくことができました。


一歩踏み出すことができ、マインドフルネスと心理学の教えを多くの人に伝えることを決断しました。

仕事が楽しくなり、笑顔になれました。


今は幸せで、これからもっと幸せになれると信じています。私の人生は変わりました。


【誰も認めてくれないと信じていた子ども時代】


子どもの頃、親が無条件に受け入れてくれたと感じたことはありませんでした。

家は安心できる場所とは思えませんでした。


例えば、小学生の時のことです。家は農家で、田んぼと畑を営んでいました。

ある日の夕方、畑の脇で一人で遊んでいました。

土の塊と石を飛行機と車に見立てて遊んでいました。想像の世界で楽しんでいました。

畑仕事をしていた母親が一人で遊んでいる私を見て、

「なに都会の子どもみたいなことしているんだよ」と言いました。

それはショックでした。

遊びを否定されたと思い、自分を否定されたと感じました。

母親が家に戻るよと言ったので下を向いて黙ったままついて行きました。


それはとても些細なことで、否定されたなんて大げさに思うかもしれません。

でも、些細なことが繰り返し、繰り返し何度もありました。

何度も繰り返すうちに、親は認めてくれない、

受け入れてくれないと思うようになっていきました。


高校を卒業後の進路を考えるときに、私は「何かをやりたいから」「これを学びたいから」と

いう理由で進学を考えたわけではありませんでした。


私が進学を考えたのは、

「今いる場所が嫌だから」「他の場所に行けば、きっと認めてもらえるだろう」という思いからでした。しかし、私は勉強をしませんでした。


当然のことながら、大学受験は失敗しました。

それでも、何とか他の場所に行きたかった私は、一人で浪人することを決めました。


私は、新聞配達をしながら予備校に通うという方法を選びました。

その大変さを、誰にも相談せずに決めました。

親と進路について真剣に話し合ったことはありませんでした。

進学のことだけでなく、これまで親と真剣に向き合ったことは一度もありませんでした。

子どもの頃から、父親とはほとんど会話をしていませんでした。

父親に怒られたり、ほめられたりした記憶はありません。

母親とは少し話をしていましたが、お互いの気持ちを伝え合うような会話はしていませんでした。


会話の少ない家族でした。

人に自分の思いを伝えること、人の話を聞いて考えること、

これらの経験がほとんどありませんでした。

自分の考えや思いを伝えなくても、最終的には相手が折れてくれる。

私は、そんな幼い子どものような考えのまま成長していきました。


働きながら受験勉強をするというのは、とても大変なことでした。

それを私は、初めて経験しました。

それでも、「大学でこれを勉強したい」「将来、この仕事をしたい」という強い思いがあれば、

その困難を乗り越えられたと思います。


しかし、私にはそんな思いはありませんでした。

私はただ、「場所が変われば、すべてが良くなる」と思い込んでいただけでした。

しかも、私は何かに向かって努力をし、その結果を達成したという経験を一度もしていませんでした。

その結果、私は予備校に行くのをやめてしまいました。


そして、再び大学受験に失敗しました。

二浪は許されませんでした。

そこで、私は情報処理の専門学校に進むことを決めました。


家に戻ることは嫌だったので、新聞配達を続けながら学校に通うことにしました。

予備校時代に一度失敗していましたが、その失敗から何も学びませんでした。

専門学校に入学した当初は、何とか学校に通っていましたが、そのうちに通うのをやめてしまいました。


予備校時代と同じことが、再び繰り返されました。

情報処理の専門学校を選んだのも、何となくそれがかっこいいと思ったからでした。


本気でその仕事に就きたいと思っていたわけではありませんでした。

軽い気持ちで決めたので、簡単に学校に行かなくなってしまいました。

新聞配達の仕事も、だんだんといい加減になっていきました。

配達店の人々からは、まともに仕事をしない人間だと思われていました。

学校に行かなくなり、専門学校で留年を経験しました。


その後、家に連れ戻され、何とか卒業を果たしました。

就職活動をする時も、「こんな会社で働きたい」「こんな仕事がしたい」という希望はありませんでした。

先生から進められた会社を何社か受けただけでした。


採用面接で、

「学生時代に頑張ってきたことは何ですか?」

「役に立った経験は何ですか?」と聞かれても、何も答えられませんでした。

それもそのはず、私は何もない、空っぽの人間だったからです。

なかなか内定をもらえませんでした。

何社か受けた後、運よく大手流通企業のシステム部に採用されました。


就職活動をしている時、専門学校の先生からこんなことを言われました。

「君は顔色が良くないから、化粧でもして顔色を良くした方がいいよ。」


このころから、私の心の病が少しずつ顔を見せ始めていました。

しかし、私はそれに気づいていませんでした。

先生の言葉を聞いて、「なんて失礼なことをいう人なんだ」と思い、心の中で怒っていました。


【心の病に倒れた社会人時代】


会社に就職し、仕事を始めてしばらくは何とかやっていけました。


しかし、心の奥底ではいつもこんなことを思っていました。

「人から認められたい。人から認められないと価値がない。

できないことがあることを認めたくない。できないことがあることは恥ずかしいことだ。」


社会人になると、それまでの人間関係とは比べ物にならないほど多くの人と接することになります。

「今、声をかけてもいいのかな?」

「忙しそうだな、話しかけたら迷惑?」

「仕事を途中で止めたら怒られる?」

「そんなことも分からないのとバカにされる?」

といった不安が頭をよぎり、怖くて声を出すことができませんでした。


例えば、最初に配属された部署では福利厚生で昼食の補助がありました。

5,000円の食券を3,500円で毎月2部まで購入できました。

その取りまとめと集金は持ち回りでやることになっていました。

私の番が来たとき、一人ひとりに声をかけて集めていけばいいだけなのに、できませんでした。

「仕事を中断させることになる。」

「迷惑な顔をされる。」

と思い、怖くて声をかけられませんでした。


食券を管理している人から、

「林さん、お金が集まってないんだけど。みんな支払いを渋ってるの?俺が代わりに言っていこうか?」と言われてしまいました。

「すいません、そんなことないです。」と言ってすぐに集め始めました。

みなさんすぐに払ってくれました。


でも、私はこう思っていました。

突然の集金でみんな迷惑に決まっている。

なんで突然?こいつ使えない。そう思っているに違いない。

こんな数分で終わることすらできないダメなヤツと思われた。

なんで自分はいつもこうなんだ。

情けない。

自分を責めまくっていました。


生活に支障が出始めました。会社に行くことが辛くなっていきました。

子どもの頃から朝はそれほど強い方ではありませんでした。

専門学校時代も午前中の授業をさぼることも多かったです。朝起きるのが辛くなっていきました。

夜なかなか眠れなくなっていきました。

少しずつ遅刻の回数が増えていきました。

体調不良と称して休むことも多くなっていきました。

そのうちに無断欠勤もするようになってしまいました。


25歳の時、私は会社に行けなくなりました。

外に出ることができず、起きているのか寝ているのかもわからない状態に陥りました。

その状況を知った叔父が、私の一人暮らしをしていた家に訪れました。


久しぶりに私の顔を見たとき、彼はこう思ったそうです。

「すぐに病院に連れて行かなければ。」


叔父の奥さんも以前、うつ病を患ってしばらく療養していたので、私の顔つきがその時の奥さんに似ていたと感じたそうです。


後になって知ったのですが、叔父は私の会社の人とも話をしてくれていました。

当時、会社では私を辞めさせた方がいいのではないかという話になっていたそうです。


しかし、叔父の助けにより、私は病院に行き、きちんと治療を受けることになりました。


叔父と一緒に病院に行き、初めての診察を受けました。

診察室に入ったまま1時間以上たっても出てこなかったため、叔父は大変心配したと後に話してくれました。

診察を受けたのは女性の先生でした。何を話したのかはよく覚えていません。

「どうしました?」と先生は優しく聞いてくれました。

自分でもどうしてこうなったのか分からない。

したくてしたわけではない。

苦しかった。

そんなことを話しました。

話すうちに涙が止まらなくなりました。

それに対して先生は何も言わずに、ただ黙って話を聞いてくれました。

否定されることはありませんでした。

その時、私はほっとしました。とても嬉しかったです。


その時に、私はうつ病と診断されました。

そして、会社を半年間休職しました。


通院と服薬の生活もここから始まりました。

途中で中断した期間もありましたが、23年間、通院と服薬は続きました。

休職もあと3回しました。


この時、手を差し伸べてくれた叔父は既に他界しています。

叔父の存在がなかったら、私はどうなっていたか想像もつきません。

命の恩人と言っても過言ではありません。いくら感謝してもしきれません。

心よりご冥福をお祈りしております。


1回目の休職から復職し、通院と服薬を続けながら何とかやり続けていました。

そのうちに、「もう大丈夫でしょう」と先生から言われました。

自分でも大丈夫だと思っていました。

そこで、通院と服薬をやめました。

しかし、それで全てが変わったわけではありません。

相変わらず、人目を気にしていました。

自分からは声を出せませんでした。


少しでも辛いことが続くと落ち込み、その繰り返しで心が辛くなり、体も動かなくなるの繰り返しでした。

寝つきが悪く、朝起きるのが難しい状態は続いていました。

午前中は極端に気分が悪く、夕方に近づくと気持ちが落ち着く状態でした。

気分が高揚しすぎることもありました。

辛いことや上手くいかないことがあるとすぐにこう考えました。


「どうせ自分なんて…」

「なんで自分だけ辛い思いをしなきゃいけないのか…」


状況が変わらない、考え方も変わらない。

少しずつ心と体に疲れが溜まっていきました。

一生、このままの状態が続くと思っていました。

辛い状態から抜け出せないと感じ、誰も助けてくれないと思い込んでいました。


人生をあきらめていました。

この世からいなくなった方が楽になれると信じていました。


例えば、30代半ばの時のことです。

毎日、残業続きで疲れ果てていました。

その日も、遅くまで働いていました。


仕事が終わり、疲れた体を引きずって駅に向かいました。

駅のホームで電車を待っていました。


「まもなく列車が通過します。白線の内側に下がってお待ちください。」というアナウンスが聞こえてきました。

列車が入ってくる方向に目を向けると、ライトの光が見えました。次の瞬間、フッと引き寄せられるように足が半歩動きました。


ほぼ同時に、「危ない!」という声が聞こえました。


我に返りました。目の前をすごい勢いで列車が通り過ぎていきました。


ブワッ。


列車が起こす風を全身に浴びました。


手のひらがべっとりと汗でにじみました。

背中に冷や汗が流れました。

体全身に不快な感覚が流れました。


途端に怖くなり、ホーム中央に下がりました。

心臓がドックンドックンと動くのを感じました。


この一件からしばらくの間、死の恐怖を感じてホームの端で電車を待つことができなくなりました。


この世から消えてなくなりたいと思っているのに、できない。惨めな気持ちになりました。

どうしたらこの苦しみから逃れることができるのか、そればかり考えるようになりました。

誰か助けてと思っていました。


【人生に光をさす出会い】


私は通院と服薬だけでなく、カウンセリングも受けていました。


40歳を過ぎたある時、人生を変える出会いがありました。

偶然知り合った人が私の疲れ切った状態を見かねて、一人のカウンセラーを紹介してくれました。その人は後に私のカウンセリングの師匠となります。


毎回の面談では、師匠は優しく話を聞いてくれました。

さまざまな提案もしてくれましたが、「どうせ無理だから」と言って、その提案を実行できずにいました。私の態度に師匠も困っていました。


そんな状況が何回か続いたある日、面談で師匠からこう言われました。

「林さんには『瞑想』が合っていると思いますよ。」


この一言が私の人生の転機となりました。

頭で理解していても行動に移すことができない。

それらしい理屈をつけて行動を避けていました。


頭で考えるのではなく、心と体で感じる体験の方が私には合っていると感じた師匠は瞑想の提案をしてくれました。

最初は何だと思いましたが、心の奥で何か引っかかるものがありました。

そこで瞑想のやり方を調べてみました。

そして、瞑想を始めてみました。


衝撃的なことが起こりました。

初めて瞑想をしたのはわずか10分程度の時間でした。

それなのに、頭がスッキリとして、体も軽くなりました。

体全体がフワフワとしてきました。

そのまま横になって目を閉じると、いつの間にか眠りについていました。


それまでは、薬を飲んでもなかなか寝付けず、朝日が差し込む時間まで布団の中で悶々としていることが多かったです。

それなのに、薬も飲まずに、ぐっすりと眠ることができました。


次の日の朝、目覚まし時計代わりにしていた携帯のアラームが鳴る前に目覚めました。

その時に部屋の電気がつけっぱなしなのに、いつの間にか寝ていたことに気づきました。

爽快な目覚めでした。こんな気持ちで目覚めたのは生まれて初めてでした。


その日は、

「また1日が始まってしまった」というどん底の気持ちではなく、

「さっぱりした1日が始まる」という前向きな気持ちになりました。


今までに感じたことがない感覚でした。カウンセリングで教えてもらったことや、本に書いてあることを試しても、何も変わらなかったのに、たった1回の【瞑想】体験で「大丈夫、今の自分でもよくやれている!」と感じることができました。


180度、考え方が変わりました。


瞑想を続けていくうちに、病院も薬も必要なくなりました。


そして、「マインドフルネス」に出会いました。


「マインドフルネス」を続けていく中で、私の考え方は少しずつ変わりました。

以前は、自分の行動に対して否定的な意見ばかり出していました。

自分ができないことを許せず、他人も許せませんでした。

自分を否定し続け、他人に攻撃的になることもありました。


しかし、自分に対して肯定的な意見を持つことができるようになりました。

できないことがあっても、素直に認められるようになりました。

他人の悪い面ではなく、良い面に注目するようになりました。


以前の人間関係は、表面上は穏やかでも心の中では不満を溜め込んでいました。

ある日突然爆発して、自分も周りも傷つけてしまいました。

しかし、それはなくなりました。


本当の意味での優しさを理解しました。


例えば、以前働いていた会社で、パートの方と面談をすることがありました。

その方と面談をしていた時、こう言われました。


「こんなに優しい笑顔を見せることができるんですね。安心しました。

いつも辛そうな顔をしながら仕事をしているのを見ていて、私が仕事ができないから迷惑をかけていると思っていました。」

と言われました。


この時に気づきました。

私は、人からもらうことばかり考えていました。

自分の都合のいいことばかり受け取ろうとしていました。


そうではなく、自分から周りの人に与えればいい。

できないことがある自分でもいい。


そう思うことができれば心に余裕ができます。

余裕が生まれれば、笑顔になれます。


まずは、自分を満たそう。

そうすれば、周りの人に伝わっていきます。


求めるのではなく、与えていく。


それができれば、お互いを理解できます。

お互いを認め合うことができます。

尊敬しあえる関係になれます。


そして、自分と同じような思いを持っている人。

自分を否定したり、責めたりしている人の力になりたいと思うようになりました。


【やさしい世界を作るために一歩踏み出しました】

カウンセラーの道を志し、行動を始めました。

師匠が開いていたカウンセリングの講座を受けました。

そして、もっと人の心のことを知りたいと思い、放送大学という通信制の大学に入学しました。


それまでの私だったら、ちょっと上手くいかないことがあるとすぐにあきらめていました。

でも、自分のやりたいと思うこと。

それをすることで、笑顔でいられます。

人の笑顔も見ることができます。


時間はかかりましたが、無事に卒業することができました。

生まれて初めて、自分の意思で考えて行動し、最後までやり通しました。


自信を持てました。


そんな体験を子どもの頃にしていれば、もしかしたら違った生き方になっていたのかもしれません。

タラレバですので言っていたらきりがありません。


勉強に限らず何かを始めよう、何かをしたいと心から思ったら始めるのに年齢は関係ありません。

本当にしたいと思っていたら、その時に出来ることを探し始めます。

自分ができる最善の方法は何かと考えて、一歩踏み出すことができます。

たとえそれが世間で言われているものと違ったとしても気にならなくなります。


なぜなら、自分が望んでいることをしているからです。


【あなたにもできます】

マインドフルネス瞑想の実践と心理学の学びから得た気づきをお伝えします。


辛いと感じることは悪いことではありません。

嫌な出来事に遭遇すれば、誰でも嫌な思いをします。


大切なのは、起きた事実を一方的に悪いと決めつけないことです。


優しく受け止めてあげましょう。

自分をいたわることも大切です。


そして、自分がどうすれば心地よく感じられるのか、他人を非難せずに済むのかを考えてみましょう。


考えて、行動してみましょう。


そうすると、辛い出来事に対する印象も変わります。


起こってしまった事実は変えられません。

どんなに優れた人でも、過去の出来事は変えられません。


しかし、その事実をどう思うかは自分次第です。

辛いと感じても大丈夫です。

その時に抱いた思いは大切なものです。

何も悪くありません。


辛い思いをずっと引きずらず、起きた事実を優しく受け止めて、「辛かったね」と優しく認めてあげると、辛い事実の印象が変わります。


「いい経験になった」

「助かってよかった」

「これからの参考にできた」

そう思うことができます。


そうすると、辛さが和らぎます。

辛い出来事から離れることができます。


それができると、これからどうするか、何ができるかを考えることができます。


自己否定をしなくなり、未来に希望を持つことができます。


人は誰でも、自分自身で良くなる力を持っています。

その力が発揮できないのは、辛い出来事が続いてしまって、その使い方を一時的に忘れてしまっただけです。

ほんの少しだけ、考え方を変え、行動を変えるだけで、その使い方を思い出すことができます。


マインドフルネスは、その方法を教えてくれます。


変われる自信がない、いつも失敗していると思っている方、大丈夫です。

どうせ、一生このままだとあきらめていた私も変わることができました。


意思が強かったからだと思うかもしれませんが、そんなことはありません。

私はちょっとした出来事にもびくつく人間でした。

辛くなって、どうしようもなくなって4回も会社を休職しました。


でも、そんな私でも変わることができました。

起こったことを無闇に悪いことだと判断せず、自分ができること、やれることを考えて行動してみましょう。

それだけで、自分を否定せずに済みます。

今の自分でも、よくやれていると自分を認めることができます。


何度やってみてもダメだった、もう子どもじゃないし、遅すぎると思っている方、今からでも遅くありません。

私は48歳で、自分が心からやりたいと思う仕事に出会うことができました。

年齢は関係ありません。


あきらめないでください。

いつでも新しいスタートを切ることができます。

自分が笑顔でいられることをしてみてください。

自分が笑顔になれば、周りの人も笑顔になります。


それを伝えていきましょう。


毎日、優しい笑顔で過ごせるように。

今日も楽しかった、明日も楽しくなる。

自分が満たされれば、親しい人、周りの人、たまにしか会わない人にも優しさを分け与えることができます。


世界は優しくなります。


そう思う人を、一人でも多く増やしていきましょう。

優しい人が増えれば、世界は優しくなります。


みなさんとともに学び、実践していきます。

優しい世界を作るための道を信じて進んでいきます。